本堂
昭和63(1988)年落慶、鎌倉様式です。落慶前のお堂は、江戸時代にお寺が当地に移った折からの建物でしたが、老朽化のため、やむなく建て替えることとなりました。
お堂の入口に額が掲げられており、「天晴地明」と書いてあります。
「天晴れぬれば地明らかなり」‐日蓮大聖人の遺された著作『観心本尊抄』の一文です。
三門
平成16(2004)年落慶、鎌倉様式です。落慶前の三門は、やはり江戸時代からのものでしたが、積年の風雨にさらされ、ある嵐の夜に暴風雨と共に倒壊し・・・建て替えることとなりました。
お車の時は横に抜けて駐車場へ向かいますが、駐車した後にでも歩いて門をくぐってみてください。
くぐりながら、本堂や木々に目を向けてみますと、季節の様子が感じられ、ゆったりとした気分になります。
瘡守稲荷(かさもりいなり)
三門を入ったすぐ左側にあるお堂です。以前は、門から墓地へ向かう左手にありましたが、平成16(2004)年に現在の場所に移りました。
瘡守稲荷さまは、「かさぶたを守る」と書きますように、皮膚病のお稲荷さまです。
江戸時代には、おできができると泥だんごをお寺からいただき、それを塗っておできを治し、今度はお礼に新しい泥だんごをお寺に奉納する、ということがされていました。
浄行さま
洗い仏さまです。お体のなかで良くしたいところを思い浮かべ、お題目「南無妙法蓮華経を唱えながら、ひしゃくでお水をかけ浄めてください。
宝塔
参道入口にある、「南無妙法蓮華経」と書かれた石の碑です。お寺の目印といえます。
享保4年(1719年)8月、当山第16世日實上人の代に建立されたことが、裏側に示されています。お寺が当地に移って数年後に作られたものと考えられます。
番神道
境内の南側から西へ延びる道は、番神道(ばんじんどう)と呼ばれています。江戸時代、三十番神さまをおまつりしていたお堂に朝夕通っていた道です。三十番神というのは、法華経を守護する神として、月の30日(旧暦)に割り当てられた神様をいいます。現在では残念ながら番神さまのお堂は残っておらず、その道のみが残っています。
見上げれば道をすっぽりと覆うかような木々の枝葉が美しい、野趣あふれる道です。なお、雪の降る日は、この木々が大きな傘のようになり、宝塔側から至る表参道に比べ、意外と雪が積もりません。
イチョウ
境内のほぼ中央に位置する木です。樹齢約250年といわれており、シイノキなど境内の他の古木と併せて市の保存樹に指定されています。
枝が上へ伸びる通常の姿ではなく枝垂れており、大きな傘のような姿や秋の黄金色の紅葉が大変美しいものでしたが、令和元(2019)年9月の台風の被害を受け、枝を落とすこととなりました。これからどのように枝を張っていくのか、楽しみです。
高野槙(こうやまき)・糸檜葉(いとひば)
本堂の前に立つ二本の大樹で、左が高野槙、右が糸檜葉です。
本堂の正面に立ってみますと、この二本の木の角度と本堂の建っている角度が少しずれているのがわかると思います。これは、江戸時代にお寺が当地に移った時既にこの二本の木があり、前の館の名残であると伝えられています。しかし、伝統的な仏教伽藍配置により、前の本堂も現本堂も今の向きに建てられました。
この他にも、境内には様々な草木があります。ご自分のお気に入りを探して、季節ごとに変わるさまを愛でるのもまた楽しいかもしれません。
どうか摘んだり抜いたりしてお持ち帰りになるのはおやめください。たくさん咲いていたり、雑草と共に生えているように見えても、そのようにして守ってきたものもあるのです。見ることでお楽しみ下さい。